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西村敏彦のほらふき・ドンドン
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| 『もりの家』から『自遊空間』まで bQ |
| 父の魂 「自遊空間」に先代の“志”が込められていると言えば何と大げさな・・・と思われる方がいらっしゃるかもしれません。先代は昭和4年生まれで、太平洋戦争では旧制中学生で大刀洗飛行場に学徒動員されていて、飛行機の格納庫は木造であり、木造トラスでスパンを飛ばして大空間を確保していたらしい。その空間の感覚が忘れられずに、納屋や倉庫を設計する時は、鉄骨ではなく木造でやることが多かった。 ふるさと創生資金を生かしたJR「たぬしまる駅」を設計した時も同様に装飾的なトラスを使った、集成材を使わない100パーセント無垢材の木造建築でした。これは町有林から切り出した桧材を使った「近くの山の木」でつくった駅舎でした。その頃、先代は甘木農林事務所の「県産材」利用促進委員会の委員をやっていて、その中間総括の意味もあったのでしょう。 台風16号がやってきた1991年は忘れられない年となりました。山から風倒木がたくさんでて、その始末に困っているということを聞いて、「たぬしまる駅」の構造システムを原型にした住宅のプロトタイプをつくろうとしたのでした。間伐材でも使えるように梁背の高い梁は105×105の3本の杉材でボルトや込栓などを使って合成梁を作り、5〜6mのスパンでも飛ばせるようにして2階梁として使いました。(10年が経った今でもダレていません。)小屋梁は三角形のトラスを反転させて、普通、切妻使いでやるところを片流れ使いとして、アトリエのような家型としたのでした。壁や床や野地板は構造用合板で補強して耐震性も向上させたのでした。 さて、このシステムを合理化させればプロトタイプとして完結していくのですが・・・。結果的には普通の在来工法とコストは変わりませんでした。一品生産の生産タイプには合わないのですネェ・・・コレが・・・。ある程度の量と標準化された計画と構法や生産ラインの単純化など小さな工務店では手におえないことばかりでした・・・。 |
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