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西村敏彦のほらふき・ドンドン

秋葉原通り魔事件−格差社会への自爆テロ
 加藤智大による秋葉原通り魔事件が起きてから約1ヶ月過ぎようとしている。この「ほらふきドンドン」用に一度原稿を起こしたのだが題材として不適当ではないかと判断し、他の話題をさがしてみたが、やはりこの事件のことがひっかかっている。
 「透明な存在感」を提示した《サカキバラ》事件の影響を受けたカテゴリーで類別すれば同じような事件がある。今年に入っただけでも、1月の東京・戸越銀座で起きた16才の少年による殺人未遂事件、軽傷2名。3月に入ると茨城・荒川沖駅で起きた通り魔事件、文化包丁で8人が刺されて、死者1名で負傷者7名。6月の秋葉原通り魔事件は死者7名で負傷者10名。
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 加藤智大を自分に近い奴だと感じる。もっと正直に言えば、私が30歳ほど若く現在の社会に生きているとしたならば『加藤智大は西村敏彦であったかもしれない』ということだ。幼少期から小学校時代の虐待、親自慢のエリートの卵だった中学時代、不和になり家庭内暴力を起こした高校時代、捨てられたそれ以降の日々。
 県立青森高校といえば、寺山修司や太宰治が卒業した名門中の名門校である(福岡でいえば修猷館高、福岡高レベル)。よほどのドロップアウトでも岐阜の自動車関係の短大へは進学しないだろう。単なる成績不良や努力不足ではなく、深刻な親との確執があり、家庭内での葛藤と孤立があったのだろう。彼は短大進学と言う進路選択を親に止めて欲しかったのではないか?
 そのための犠牲者の数として大きすぎる。「誰でもよかった、人を殺したかった」というコメントは悲しくてやりきれない。
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 1975年前後から日本は「脱工業化社会」となり、'80年代中期に行なわれた日米構造協議により新自由主義(ハイパー資本主義)のレールがひかれた。バブルに浮かれ、小泉劇場にほんろうされているうちに「貧困問題」「下流社会」が現前し、格差社会の痛みを知ることとなった。藤圭子の歌ではないが「よそみしてたら、泣きを見た」である。
 加藤智大による秋葉原通り魔事件は日本人に対して格差社会をもう一度真剣に考えるように迫った天からの啓示であり、必然的な事件である。格差社会というのはこんな風に休日の路上を歩いている善良な市民が大量殺人される現実だという事実に、我々日本人は向き合わなくてはいけない。犠牲になった7人を弔い無念に報いるためには、この格差社会をなくしていくように「政治」にはたらきかけていかねばならない。
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 秋葉原通り魔事件が新自由主義社会(格差社会)に対して外向きのベクトルとすれば、内向きのベクトルは「自殺」である。この数年間、自殺者は3万人を越えている。とりわけ東京都足立区梅島の一家無理心中事件は悲惨だった。私の廻りにもバブル崩壊以降、自死を選んだものが片手では足りないほどいる。新自由主義は人を追いつめて残酷に殺す。弱者は必ず追いつめられて自死を選ぶ。
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 「ハケン」の問題はニュースなどでもあまり取り上げられなくなってきた。トヨタ系列の関東自動車側の事実説明はあやふやであり、真実を明らかにする必要がある。関東自動車の労務管理上の過失が原因で今回の事件が起きたとすれば、関東自動車の責任は免れない。このような悲劇を二度と起こさないためにも「関東自動車」「日研総業」(人材ハケン会社)の派遣労働実態を検証、追及すべきである。
 ニュースショー、ワイドショーでは「ナイフ」「サブカルチャー」の問題に逃げ、問題をすりかえ矮小化しようとしている。スポンサー様の「大トヨタ」に気兼ねして、自主規制し「報道」とは言えなくなってきている。もっとも大談合組織の記者クラブ経由の情報では真実はミエナイ。(「トヨタ」は肥り人々は死ぬ・・・。)ということだけは確実である。
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『この世界では資本という「虚」が、道徳や公正、誠実といった「実」の価値をせせら笑い、泥足で踏みにじっている。そのような倒錯的世界にまっとうな情理など育つわけがないだろう。なかんずく、実需がないのにただ金儲けのためにのみ各国の実体経済を食い荒らし、結果、億万の貧者と破産者を生んでいる投機ファンドの暴力。それこそが世界規模の通り魔ではないのか』     (辺見庸「水の透視画法」より)
 

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