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西村敏彦のほらふき・ドンドン
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| 「ダークナイト」−格差社会時代のヒーロー論 | |||
バットマンを主人公にした「ダークナイト」を見てきた。手に汗にぎる大活劇に単純な(ハリウッド映画お得意の)勧善懲悪的でない哲学的なフレーバーまで添加してあって、さすが!「メメント」「バットマンビギンズ」のクリストファー・ノーラン監督!!という感じである。
裂かれた口の黄色い歯の間から毒々しい言葉が吐かれ、背を丸めて邪悪の限りをつくす。自覚されないアナーキーな無意識が「異型」のイメージをふくらませる。そうだ加藤智大をデフォルメさせモンスター化すれば<ジョーカー>というフリークができあがるのではないか・・・? <ジョーカー>は<バットマン>の異形の補完物としてえがかれている。<ジョーカー>はつぶやく「俺はお前(バットマン)を殺したくない。なぜならおまえは俺を完成させてくれるからさ」 タイトルのダークナイトは「暗い夜」のことでなく「黒騎士」の事。その反対語はホワイトナイトで「白騎士」という意味である。「白騎士」はヒーローの<デント検事>、「黒騎士」はダーティヒーローの<バットマン>とアンチヒーローの<ジョーカー>両者を示し、その2者はコインの表裏の関係であり、格差社会のヒーロー像を暗喩的に表現している。とにかくヒーロー・ダーティヒーロー・アンチヒーローが三重に衝突し、時に立場をかえ、そのポテンシャルエネルギーの差異をアクションに変えたエモーショナルな映画の律動は「哲学的」と言ってもいい。 格差社会の闇にさいた宵待草のような暗い傑作である。
それは<ジョーカー>よりもオソロシイ。やがてそれが.ボディブローのように社会に効いてくる。そして・・・・? |
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