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野池政宏のこらこらコラム
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| 「B級的自然住宅のススメ」第5回 |
| 私はほとんど何にもこだわりはないが、食べ物だけにはちょっとしたこだわりがある。それは前にも書いたように、ウマイものを食べたいというこだわりだ。だから料理をするときにもちょっとだけ手間をかける。毎日つくる朝ごはんには大した手間はかけられないが、味の差が歴然と変わる「ひと手間」であれば必ずそうする。口がイヤシイなあ、といつも思う。
外食するときもファミリーレストランには決して行かず、専門店に行く。でも専門店といっても焼鳥屋とか牛丼屋とかニンニク料理屋とかで、イタリアンレストランなんかにはほとんど行かない。フランス料理屋には若い頃にデートで2回ほど行ったが、別
にウマイとは思わなかった。日本料理屋にしてもどの料理も同じ味がするし、どこの店でも同じような味だと感じる。もちろん微妙には違うのだろうが、舌や鼻を集中させて「うーん、ウマイ」というような食い方をしたくないのだ。 こんな私の食い物の嗜好(指向)は、私の性格というか価値観をよく表していると思う。冒頭に「ほとんど何にもこだわりはない」と書いたが、ほんとに何にもこだわりがない人に比べると「自分で決めたこと」みたいなものが、実はたくさんある。たとえば食器。食器を選ぶ基準は「料理がウマそうに見えるどうか」の1点にあって、どこの作家だとか何焼だとかというのはどうでもいい。映画なら見終わったときにシアワセな気分になれるかどうか。映画は好きなのだが、映画好きの人と話をしても相手はつまらない。だって「あのときの台詞がどうだったか」とか「カメラワークがどうの」とか言われてもほとんど覚えていないから。小説もまったく同じで、いくら「いい小説だったなあ」と思っても2回同じ本を読むことはない。学生のときに少しだけ小説家になろうと考えたときもあったが、もし小説家になっていてもそういう読まれ方をしてほしくないタイプの作家になったと思う。そういえばこういう文章も同じで、わかりやすく書けるかどうかだけにエネルギーを注いでいる。 これはきっと「どこか狭いところに行き着くと息苦しいから」だと思う。何かを選んだり、何かを評価したりするときに、「これ以上進むと息苦しくなる」という地点みたいなものを一生懸命探しているような気がする。でもその地点までは行かないと気が済まない、というところが私の特徴なんだろう。他人から私は真面 目に映るらしいが、きっとこういうことなんだろう。 話しは少し変わる。 私はよく「もし自分が建築の世界に首を突っ込んでいなくて、家がほしいと思ったときにどういう動き方をして、どんな家を建てているんだろう?」と思う。この答えを具体的に考えたことはいままでないが、私が出しているメッセージにはこういう意識を持つことがベースにある。 さて、いい機会なのでここでこの自問を真面目に考えてみたい。 建築の世界に首を突っ込んでいないとしても、私が理系であるという前提はそのままにしておく。でないと自問に答えられない。そういう意味では少し特殊な話になるのかもしれない。 まず最初はやはり本を読もうと思うだろう。だから近くのいちばん大きな書店に行ってみる。いろんな本が並んでいる。まずは題名で手に取る本を選び、パラパラとめくっていくだろう。たぶん1冊はいろんな要点が箇条書き的に書いてあるような本を買う。もう1冊はできるだけ根本的なことが理論的に書いてある本を買うだろう。 次に考えるのは「この国の平均的な家はどんな感じなんだろう」ということになると思う。それは広さとか値段とかではなく、「マトモさの程度」みたいなことだ。この感じがつかめないと次のステップに進めないような気がするから。 …ちょっと中途半端になってしまったが、今回はこれでオシマイ。続きは次号に。 |
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